自社ブランドへの転換と技術革新を積み重ねることで、偉勝は大手メーカーの下請け、年商3,000万元の中小企業から、年商7億元の半導体サプライチェーンの「影の勝者」へと進化を遂げた。
偉勝の2代目総経理・陳玟翰(中央)は、「価格競争を避けるには、高付加価値の道を突き進むしかない」と強調する。
リソースが限られた中小企業に、ビジネスモデルの転換や高付加価値化は不可能か?――答えは「ノー」だ。新北市三峡の白鶏山にひっそりと佇むトタン屋根の偉勝乾燥工業。この偉勝乾燥工業が開発・製造する熱処理装置が、創業当初の「茶葉の焙煎用」から進化を重ね、今や最先端の「半導体ウエハ熱処理用」へと大躍進を遂げた。そして年商も3,000万元から、昨年には7億元という目覚ましい成長を記録したのである。
台湾デジタル企業総会のCEO・王怡雯氏は、偉勝の軌跡を次のように分析した。「かつての偉勝は、1台20万元のローエンド産業用乾燥オーブンの製造が主軸でした。しかし、ハイエンド市場への参入を果たした現在、装置の価格は1台あたり20万米ドル(約650万元)以上にまで上昇しています。さらに、TSMCのサプライチェーン参入に成功し、まさに中小企業におけるビジネスモデル転換・高付加価値化の成功を象徴する代表例と言えます。5年前は社員数わずか30人ほどでしたが、現在では110人規模まで急成長しています」
「産業用オーブンの世界も、今や競合がひしめく激戦区です。もし私が高付加価値化という道に進まなければ、待ち受けていたのは価格競争でしょう」そう語る人物こそ、偉勝を生まれ変わらせた最大の立役者――今年43歳の2代目総経理・陳玟翰氏その人である。
若き後継者の挑戦:下請け・低利益率の宿命を覆す
幼少時代、クラスメイトたちが夏休みや冬休みに遊んでいる間、陳玟翰氏は家業を手伝わなければならなかった。高温、粉塵、鉄屑――その劣悪な環境は、彼にとって恐ろしい子供時代の記憶として刻まれている。「当時は、工場に行くのが嫌でしかたありませんでした。しかし、必死に働く両親の姿を見ているうちに、『自分が大人になったら、両親の力になりたい』と、心の中で決意しました」そして2006年。兵役を終え、25歳になった彼は、家業の門を叩いた。
入社後、板金、溶接、組み立て、設計、品質保証にいたるまで、ありとあらゆる基礎業務をこなしながら、製造業のイロハを徹底的に学んでいった。そしてその中で、機材の配置、従業員の給与体系といった、会社が抱える不合理な体質を目の当たりにし、それらに対する変革の意志が芽生えた。しかし、現実は一連の重圧だった。
「両親から見れば、私は『会社に入ったばかりで右も左も分からない若僧』に過ぎず、『自分たちは30年やってきた』という自負があるため、私の提案に耳を傾けてはくれませんでした。現場のベテランの職人たちからも、『お坊ちゃんは技術のイロハを分かっていない』と煙たがられていました……」陳玟翰氏は、入社当初は社内の誰からも信頼されていなかったことを包み隠さず明かした。
最終学歴が小学校卒業だった陳玟翰氏の父親は、かつて国内大手の乾燥設備メーカーで見習いとして手働き、その後、独立して創業。かつての修行先から下請け製造を請け負うようになったが、売上の95%をこの1社に依存していた。陳玟翰氏は、当時を次のように振り返った。
「そのメーカーは、私たちにとって唯一のクライアントで、相当なプレッシャーでした。さらにサプライチェーン側からも、うちの会社は規模が小さいため、発注量も少なく、まともに相手にしてもらえませんでした」
2008年のリーマン・ショックが、偉勝のビジネスモデル転換への推進力となる
リーマン・ショックが直撃すると、偉勝の受注は完全に凍結し、かつて約3,000万元あった年商は、一気に1,000万元足らずに激減。そればかりか、市場の冷え込みにより、下請け製造のビジネスはさらに厳しい状況へと追い込まれていった。「連日連夜、徹夜で作業に追われて納品した特急案件ですら、粗利益はわずか『3〜4%』でした」その時陳玟翰氏は、「下請けは常に他人に左右され、クライアントも将来のビジョンを提示してくれることはない」と気づいた。そして2009年、ただ注文を待つだけの下請けで終わりたくないと思った彼は、これまで培ってきた技術と品質を武器に、ついに自社ブランドの立ち上げを決意する。
「当時は本当に苦しかった。まさに生きるか死ぬかの瀬戸際で、死に物狂いで突っ走るしかありませんでした」彼は自ら袖をまくり技術を学ぶ一方で、展示会にブースを出展することができなかった時代には、自ら展示会場に行ってチラシを配り、新規顧客を開拓していった。そしてどんなに小さな案件でも受注し、下請けの比率を5割以下にすると心の中で誓った。
6年が経ち、陳玟翰氏はついに、かつての「1社独占」から、取引先を300社まで拡大させた。それに伴い、売上も3,000万元を超えるまでに成長し、リスクの分散に成功した。「小さな結果を一つ一つ積み重ねていくことで、両親も自分を信じてくれるようになる」こうして父も安心して陳玟翰氏に経営を任せられるようになった。
2014年、偉勝の下請け比率がついに5割以下となり、陳玟翰氏は自社ブランドで展示会に出展することを決意した。しかし、展示会への出展は、陳玟翰氏の視野を広げることとなった。彼はそこで、数多くの大手顧客との接点を得ただけでなく、潜在顧客との交流を通じて、偉勝は価格競争ではなく、技術と品質の付加価値で勝負し、半導体市場をターゲットにすることを決意した。
チャンスの到来:欣興、日月光を相次いで攻略
そして2016年、ついにチャンスが巡ってくる。世界シェアトップを誇るABF基板の巨頭・欣興電子が、既存の古いオーブンのアップグレード計画を立ち上げた。しかし、それまでのサプライヤーは協力を拒み、偉勝がその隙間に切り込むと、一気に市場の扉を開いた。「半導体産業はかなり閉鎖的で、新しいサプライヤーが参入する余地は、ほぼゼロに等しいんです」と、陳玟翰氏は率直に語った。工場の生産ラインにおいて、乾燥オーブンは高額な設備ではなく、従来のサプライヤーの製品をそのまま踏襲することがほとんどで、その門をこじ開けることは至難の業だ。「だからこそ、私たちはどんなチャンスも掴み取らなければならないんです」
欣興の攻略によって足がかりを築いたことで、偉勝は地盤を固めた。その2年後、彼らに次なる大チャンスが舞い込んできた。半導体パッケージング・テストの大手メーカーである日月光が、自動化乾燥設備の開発に乗り出し、セカンドサプライヤーを探し始めた。そして陳玟翰氏は、一切躊躇することなく、この千載一遇の「チャンス」を掴み取った。
「提示された仕様は当然ながらかなり難易度の高いものでした。しかし、品質、サービス、技術のすべてにおいて全力でサポートしました」陳玟翰氏は、日月光からの受注を勝ち取ることができれば、「私たちの会社は今のステージから、次のレベルに駆け上がることができる」と確信していた。
しかし、乾燥設備の技術で半導体産業に切り込むのは、とてつもなく難しかった。例えば、従来の産業用オーブンにさほど精密さは求められず、シンプルな機械構造と、板金職人さえいれば問題ない……。「要は食べ物を温めるのと同じで、乾きさえすればいい」陳玟翰氏はこのように形容した。半導体においては、高度な熱の均一性が要求される。
オーブンの中に50枚のピザを敷き詰めたとして、ピザ一枚一枚、どの部分も同じ食感に焼き上げ、さらにホコリ一つない完全なクリーンルームの環境で、365日安定した品質を確保しなければならない。
1年半の時間を費やし、偉勝はついに半自動から完全自動化、クライアントが要求する仕様をクリアした「クリーン・無酸素精密オーブン」の開発に成功した。ところが、最初の10数台から20台近くの装置を工場に搬入し、テストを行っていたその時、クライアントから仕様の変更を要求された。陳玟翰氏は歯を食いしばりながら、100万元にものぼる変更コストを自社で負担することを決断し、見事に日月光のサプライヤーの座を獲得した。
「かつて下請け製造からスタートし、他社でも作れる製品を作るだけでは、その先にあるのは価格競争だけです。しかし、他社には真似のできない、より高度な製品を作ることができれば、絶対的な価値を生み出すことができます」陳玟翰氏はそう明かした。このような外部からの要求による刺激を利用すれば、社内の研究開発の歩みを加速させることができる。「もし私たちが、これまでと同じこと、確実な仕事だけを繰り返していたとしたら、技術の蓄積は遅いままでした。あえてクライアントを利用し、自らを追い込んで技術を引っ張り上げてもらう。これこそが、成長のための近道なのだと思います」
「かつてビジネスモデルの転換に踏み切った頃は生き残ることが目的でした。今の私たちは世界市場への進出を目標として掲げ、さらに、スマート・グリーン乾燥熱処理におけるグレードアップと発展を目指しています」と、陳玟翰氏は語った。
実際に、乾燥オーブンは電気が熱源であるため、エネルギー消費量が大きく、陳玟翰氏は、低消費電力の装置を開発できれば、強力なセールスポイントになると考えた。そこで彼は2年前に、大規模な産学連携を始動させた。核心モジュール技術の開発を特定プロジェクトとして切り出し、あるいは特許ライセンスの取得を模索。台湾科技大学、台北科技大学、清華大学、台北大学といった外部リソースを積極的に導入し、スマート化と省エネ設備の開発スピードを加速させた。
「現在、偉勝の前工程向け装置は、温度差を±5℃以内に抑えることができ、さらに±3℃以内を目指しています」と、陳玟翰氏は語った。この±3℃以内という壁は、国内の競合他社もいまだ突破できていない。「スピードが命です。一歩でも遅れれば、たちまち価格競走に陥ります」陳玟翰氏はより難易度の高い挑戦に挑もうとしている。半導体の前工程に必要な乾燥設備は、精密な温度制御が求められ、±1℃に抑えなければならない。この領域は、これまでアメリカや日本の企業が市場を独占してきた。そして偉勝は、これらを極限のチャレンジとして目標に掲げた。
人材獲得のため、偉勝はIPO(新規公開株/株式上場)を計画している。

偉勝の陳玟翰総経理(写真右から1人目)が、社内にフィットネスジムを開設。現在、全社員の3割以上がほぼ毎日汗を流し、社員同士の協力や一体感の促進につながっている。(画像/呉東岳)
マラソンへの挑戦から、「経営の道」を知る
「私は同じ場所に立ち止まっているのが苦手なんです」陳玟翰氏は、仕事において絶えずビジネスモデルの転換とアップデートを繰り返すだけでなく、より難易度の高い壁に挑み続けている。運動が習慣となっている彼は、自転車から始まり、今やマラソン、トライアスロンへと挑戦の幅を広げ、昨年はさらに「1年間で1,200㎞走る」という目標を掲げ、達成した。すると今年は、その目標をさらに1,500㎞へと引き上げた。結果、11月の時点で早々と達成してしまった。「1,200㎞と聞くと、とてつもない数字に思えるかもしれませんが、12カ月で割れば1カ月あたり100㎞。それを4週間で割れば1週間でたった25㎞です。さらに7日間で割れば、1日あたり3㎞ちょっと。決して難しいことではありません」
「挑戦の過程で、諦めさえしなければ、どんなに苦しくても達成できる」陳玟翰氏は、スポーツを通じて実感した事をこのように共有した。企業経営においても同じで、「信じて貫けば、現実になる!」彼は、目標に向かって一歩一歩前へ進めば、企業の限界を突破し続けられると信じている。
「挑戦のプロセスにある苦しみは、成功して頂上からの景色を見た瞬間、すべて価値あるものだったと思えるのです」
ニュース出典:今周刊

